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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第12回 レイモンド・スコットの赤ちゃん向け音楽

CD:“Soothing Sounds for Baby: Electronic Music By Raymond Scott”
CD:“Raymond Scott - Manhattan Research Inc.”

 前回(Shokabo-News 2014年1月号)、「1960年代半ばあたりから、芸術音楽で開発された様々な手法がポピュラー音楽に流入しはじめる(例えばビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」など)。」と書いた。自分で書きつつ、「そんな簡単なことでいいのかな」と疑問を持っていたことを告白しよう。技術というのは、それに触れる人すべてに等しく恩恵をもたらす。ならば、芸術音楽と並行してポピュラー音楽でも、新技術の影響を受けて電子音楽を指向する動きがあっておかしくはない。
 調べてみたら果たして、そのような動きは存在した。実際問題として芸術音楽とポピュラー音楽の境界は曖昧なものだから、どっちがどうだときっちりと区分できるわけではないのだけれど(あなたはご存知だろうか。武満徹[1930〜1996]亡き後、芸術音楽の最長老として尊敬を集めている湯浅譲二[1929〜]が、同時に童謡「はしれちょうとっきゅう」の作曲者であることを)、ポピュラー音楽では独自の展開があったことが分かったので、今回はそのポピュラー音楽と技術の関係を書いていくことにしよう。
 そこには、レイモンド・スコット(1908〜1994)という鬼才が存在した。

 ポピュラー音楽における新技術は、まずマイクとアンプとスピーカーという形をとって現れた。20世紀初頭まで、「歌う」とは自分の身体を楽器と化すことに他ならなかった。大きな劇場の隅々まで声を届かせたければ、自分の身体を共鳴体として響かせるしか方法はない。そのための究極の技法というべき発声法が、イタリア・オペラで完成したベル・カント唱法であり、これは今も芸術音楽の世界では普遍的に使われている。
 そこに20世紀に入ると、「電気的に声を増幅する技術」というものが入ってくる。1904年、真空管が発明される。最初の真空管はオン・オフをするだけの二極管だったが、翌年には電気信号の増幅が可能な三極管が開発された。もちろん、最初の問題意識は無線通信などの微弱な電気信号を増幅できないかということだったのだが、ここで「電気を使って音を増幅する」というアイデアを持ち込む者が現れた。1911年には最初のスピーカーが発明され、その4年後の1915年には早くも最初の拡声装置が試作された。
 当初拡声装置は、政治家の演説や野球の解説を野球場全体に響かせるといった、話し声の拡大に使われた。現在、コンサートで使う拡声装置もひっくるめてPAと呼ぶが、これはPublic Adress system(公衆伝達システム)の略である。初期のPAは音質も悪かったので、音楽向きではなかったのだ。
 しかし、ラジオでは盛んに音楽が放送されるようになり、演奏家はだんだんとマイクに向かって歌ったり演奏したりすることに慣れていった。やがて1920年代、巨大な革命が起きた。「身体を共鳴器として使い、声を張り上げる歌唱法」から「拡声装置の使用を前提に、マイクに向かって歌う歌唱法」への転換だ。
 最初にこの歌い方を始めたのは、アメリカのジャック・スミス(1898〜1950)という歌手だった。彼は、あまり声量がなかったので、拡声器を使うようにしたところ、耳元でささやくようなニュアンス豊かな歌い方が女性に受けて一気に人気歌手となった。
 が、マイクを使う歌唱法を完全に使いこなし、一般化したのは、名曲「ホワイト・クリスマス」で知られるビング・クロスビー(1903〜1977)だ。彼の歌い方はクルーナー・スタイルと呼ばれ、一世を風靡した。現在、「歌う」というと大抵の人はマイクを持つ真似をするが、その源流はビング・クロスビーにある。
 こうしてポピュラー音楽の世界では1930年代以降、生演奏のバンドに拡声装置を使う歌手という編成が一般的になっていった。楽器への拡声装置の適用も1930年代から実験的に始まる。1950年代になるとロックンロールと共にエレキギターが爆発的に普及し、やがてポピュラー音楽はPAなくしては考えられないようになっていく。ゆっくりと、「音楽には電気を使うのが当たり前」になっていったのだ。

 レイモンド・スコットは、1930年代初頭、つまりポピュラー音楽の世界に電気がどんどん浸透してきた時期からジャズ・ミュージシャンとして音楽活動を開始している。1936年には「レイモンド・スコット・クインテット」を結成。当時はかなりの人気を誇ったようだ。
 じつは彼の音楽は、非常に面白い形で我々の耳に届いている。1943年、彼は自作を利用する権利を映画会社のワーナーブラザーズに売却した(どうも、時期的に電子楽器の研究資金を調達するためではないかと思われる)。するとワーナーでアニメーションのための音楽を作曲していたカール・スターリング(1891〜1972)が、ことのほかスコットの曲を気に入り、ワーナーのアニメのための音楽で盛んに使用したのである。結果、「バックスバニー」を初めとするワーナーのアニメではスコットの作品が何度も使われるようになった。私もあなたも、意識することなく幼少時にレイモンド・スコットの音楽に触れていたわけだ。
 もともと電気工作が趣味だったスコットは、1940年頃から「電気回路を使った楽器や音楽」に興味を示し始める。最初は屋根裏部屋の趣味程度だったものが、第二次世界大戦後の1946年には電子楽器開発のための会社、マンハッタン・リサーチ社を設立し、音楽活動の傍ら、本格的に電子楽器開発にのめり込んでいった。
 1948年に最初の電子楽器「カーロフ」を製作、1952年には現在のシンセサイザーの直接の先祖と言える電子楽器「クラヴィボックス」を製作、翌1953年にはクラヴィボックスを自動演奏する装置「シーケンサー」を発明。1954年には、後にモーグ・シンセサイザーを開発することになるロバート・モーグ(1934〜2005)と出会い、共同研究をスタートさせている。1963年にはドラムセットを模擬し、自動演奏するドラムマシンを発明した。つまり、シンセサイザー、シンセを自動演奏させるためのシーケンサー、リズムの基礎を作るドラムマシンという、現在のポピュラー音楽では必須の機器を、ひとりで開発してしまったのである。ただし、彼は商品開発者としてはあまりに気宇壮大で、しかも飽きっぽかったらしい。彼の発明品は商品にはならず、もっぱら自身の音楽活動のための道具として使用された。
 ここで重要なのは、彼は発明家ではなく、作曲し、演奏する音楽家が本業だったということだ。彼は自らが製作した電子楽器を使用し、コマーシャル音楽を初めとした商業音楽を作り、さらには新しい楽器のための新しい音楽を作曲し、録音した。

 というわけで、今回は“読書ノート”というタイトルから離れて、本ではなくアルバムを紹介する。
 1963年、レイモンド・スコットは3枚のアルバムを発表した。タイトルを“Soothing Sounds for Baby(赤ちゃんのための聴きやすい音)”といい、それぞれ“Vol.1 1ヶ月から6ヶ月向け”“Vol.2 6ヶ月から12ヶ月向け”“Vol.3 12ヶ月から18ヶ月向け”と題されている。なんと彼は、自分が開発した新しい楽器のための新しい音楽として、「赤ん坊が喜んで聴く」ことを目指した実用音楽を書いたのだった。
 さらに驚くべきことにこの3枚のアルバムで、彼はクインテットを組んで作曲・演奏していたようなダイナミックで情動的な曲ではなく、シーケンサーを利用した、繰り返しの多い静的な音楽を展開していく。響きは薄く、3つ以上の音が同時に鳴ることはほとんどない。電気回路が作り出す新しい音色を、心ゆくまで聴いてくれと言わんばかりだ。
 おそらく発想として一番近いのは、フランスの作曲家エリック・サティ(1866〜1925)が提唱した「家具の音楽」だろう。なにを表現するということもなく、家具のように傍らにある音楽だ。また響きとしては、後のクラフトワークやイエローマジックオーケストラが展開したテクノポップを15年以上先取りしている。
 ロバート・モーグが最初のモーグ・シンセサイザーを公開したのが1964年、それを使ってワルター・カーロス(1939〜:後に性転換手術を受け、ウェンディ・カーロスとなった)がアルバム「スイッチト・オン・バッハ」を制作し、世にシンセサイザーという楽器を広く知らしめたのが1968年。つまり、レイモンド・スコットは、シンセサイザーがまだ未来の楽器であった時点で、自ら音楽家であり同時に発明家でもあるという利点をフルに生かして、未踏の表現領域に切り込んでいったのである。前回取り上げた芸術音楽における電子音楽が、作曲家と技術者の共同作業という形で進展したのと対照的である。

 どんどんと一人で先に進んでいたレイモンド・スコットだが、生前はその電子音楽が高く評価されることもなく、1994年に85歳でこの世を去った。しかし、今やその先進性が見直され、徐々にリバイバルしつつある。現在、“Soothing Sounds for Baby”はアマゾンなどでCDを入手することができるし、彼が1950〜60年代にかけて行った様々な音楽的実験は“Manhattan Research Inc.” という2枚組CDにまとめられている。この小文で興味を持ったなら、是非とも聴いてみてほしい。


【今回紹介したCD(輸入盤)】 
◆“Soothing Sounds for Baby: Electronic Music By Raymond Scott
     Vol. 1 (0-6 months) ,Vol. 2 (6-12 months) ,Vol. 3 (12-18 months)
   レーベル:Basta/各8.95ユーロ
   https://bastamusicstore.com/products/raymond-scott-soothing-sounds-for-baby-volume-1-compact-disc?_pos=2&_sid=f1fcb32ad&_ss=r&variant=1083760544
   https://bastamusicstore.com/products/soothing-sounds-for-baby-volume-2?_pos=5&_sid=f1fcb32ad&_ss=r&variant=1070678664
   https://bastamusicstore.com/products/raymond-scott-soothing-sounds-for-baby-volume-3?_pos=4&_sid=f1fcb32ad&_ss=r&variant=1070729884

◆“Raymond Scott - Manhattan Research Inc.
   レーベル:Basta/28.95ユーロ
   https://bastamusicstore.com/products/raymond-scott-manhattan-research-inc-compact-disc-2?_pos=1&_sid=764748895&_ss=r&variant=1089261076


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2014
Shokabo-News No. 297(2014-3)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在,PC Onlineに「人と技術と情報の界面を探る」,日経トレンディネットで「“アレ”って何? 読めばわかる研究所」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『コダワリ人のおもちゃ箱』(エクスナレッジ),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.ブログ「松浦晋也のL/D


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