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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

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第27回 日本陸軍のために存在した商社と阿片ビジネス

山本常雄 著『阿片と大砲 −陸軍昭和通商の7年−』(PMC出版)

 星一から始めた阿片関連の読書がすっかり面白くなってしまい、図書館から本を借りてはああだこうだと読み進めている。
 阿片は習慣性と毒性とで消費者を地獄に叩き込み、社会を衰弱させる一方で、その習慣性故に供給者には確実な利益を約束する。「確実な破滅を供給しつつ確実な利益を約束する」のだから、阿片ビジネスはその時々の人間社会の倫理のありようを反映することになる。
 阿片を商うということは、「他人を踏みつけにして良い理屈を、その組織や社会が持っている」ことを意味する。第二次世界大戦の敗戦を迎えるまでの日本は、政府機関が裏金のために阿片を商っていたのだから、おせじにも時代を超えた倫理性を備えた組織・社会であるとはいえない。つまり阿片を調べていくと、「とても格好悪くて、倫理的とは言えない昔の日本」が見えてくる。
 ただし、立派ではない倫理感覚が通用した背景には、その時代の社会状況が横たわっていることも忘れてはいけないだろう。

 山本常雄著『阿片と大砲』は、タイトルに「阿片」と入っているというだけで読んだのだが、阿片に限らず、自分にとっては非常に衝撃的な本だった。
 本書の副題は「陸軍昭和通商の7年」という。昭和通商とは何か。

 多くの人は軍隊の本質は破壊力だと思っているが、実際は違う。軍隊の本質は情報と輸送であり、その2つを支えるのは科学技術である。
 情報を集めて的確に判断し必要な物資を必要な場所に運ぶという意味では、軍隊と宅配便は同じだ。ただ、最後の最後に起きる事象が、受取人のサインか、破壊か、というところだけが異なる。
 そう考えると、軍が専門の商社を持つというのは必然とも言えるだろう。昭和通商は、昭和14年に、三井物産、大倉商事、三菱商事の出資で設立された「日本陸軍のために活動する商社」だった。陸軍の命を受け、陸軍が必要とする物資を世界中から調達する機能を持つ。調達にあたっては、出先に駐留する陸軍から可能な限りの便宜を図ってもらえるという権限を持たされていた。アルミニウム、タングステン、ニッケルなどの戦略物資から、食料、さらには陸軍が必要とする労働力を現地住民から手配するなど、陸軍が必要とするすべてのものを、昭和通商は調達した。

 自分の無知さを恥じるしかない。こんな会社がかつて存在したことを、私は知らなかった。

 著者は昭和17年9月に、戦時半年繰り上げで早稲田大学を卒業し、体に不具合があったので徴兵されずに昭和通商に入社。新人の3年間を昭和通商社員として数奇な体験をする。戦後、自分の働いた昭和通商とはどんな会社だったのかという疑問を持ち、かつての同僚、先輩などの証言を得て、本書を上梓した。

 まずは歴史的経緯をまとめよう。
 日露戦争で、日本の軍需産業は一気に発達した。その結果、日露戦争後、日本は兵器の在庫過剰、生産能力過剰に陥った。次に起きるのは何か。
 兵器の輸出だ。せっかく投資したのだから、輸出で儲けねば話にならない。ではどんな組織が、どこに輸出するべきか。
 「商社が専門の組合を作って、主に中国の軍閥に輸出すればいい」とアイデアを出したのは、東京砲兵工廠製造所の所長を務めていた南部麒次郎(1869〜1949)だった。南部大型自動拳銃に代表される国産銃火器開発に功績があった人である。その名前は今も警察などが使用するニューナンブピストルに残っている。
 かくして三井物産、大倉商事、高田商会の出資で、明治41年に泰平組合という組合組織が結成される。国策といって良いレベルで、日本は日露戦争後の中国に兵器を押し込み販売していたのだ。
 大正の末には、高田商会が経営破綻して脱落。その後、高田商会に代わって三菱商事が入り、昭和14年に設立されたのが昭和通商だ。
 昭和通商は、対米戦を想定して、泰平組合よりも緊密に陸軍と連携する商社だった。同社設立のシナリオを書き、主導したのは陸軍省軍事課長だった岩畔豪雄(いわくろ・ひでお:1897〜1970)である。岩畔は日本陸軍の諜報活動を束ねた大立者で、諜報関係者を養成する陸軍中野学校や、風船爆弾や細菌兵器の研究開発を行った登戸研究所の設立者でもある。一言で説明すれば、日本陸軍のインテリジェンスの親玉というべき人物だ。
 ここで驚くべきは、岩畔は単なるスパイの親分ではなく、昭和通商のような物流を司る組織と、登戸研究所のような軍事技術開発拠点を立ち上げたことである。戦争遂行の勘所が、情報と物資輸送の2つにあり、その基礎は科学技術にあると、彼にははっきりと分かっていた。
 昭和通商は、物資の調達だけではなく、情報収集にも便利な組織だった。現在も世界を股に掛ける商社は優秀な情報収集機能を持っているが、昭和通商も同様だった。昭和通商には軍人や役人だけではなく、民間の商社員、ジャーナリスト、さらには科学者、人文科学研究者までもが関係しており、昭和通商を使ってそれぞれに情報収集を行った。陸軍から最大限の便宜を図ってもらえるので、ジャーナリストや研究者にとっても昭和通商は便利な存在だったのである。
 本書は、昭和17年から20年にかけて、昭和通商で働くということが具体的にどのようなものであったのかを、当事者の証言を通じて詳細に記述していく。現地の陸軍部隊の中には、昭和通商を知らない者もいた。「民間人が軍人に指図するとは何事か」という声を、「昭和通商だ」の一言でぶっちりぎりながら社員は仕事を遂行していく。敗色が濃くなると、戦闘に巻き込まれて死亡する社員も出てくる。本書にフィリピンにおける敗戦の中で社員がどのように行動し、あるいは生き残りあるいは死んだかを記述している。

 さて、本書に記載されているアヘン関連の話題は主に2つだ。

 まず、昭和51年4月25日付け読売新聞スクープの引用として、児玉誉士夫が昭和通商の依頼を受けて昭和15年と16年の2回にわたってそれぞれ70〜80万円相当のヘロインを買い付けたという話。このヘロインは昭和通商によって物々交換でタングステン買い付けに使われたとのこと。著者はこの記事によって、かつて自分が在籍していた昭和通商が麻薬商売もしていたことを知った。昭和通商の阿片ビジネスは、会社内でも一部の者のみが知る秘密だったのである。

 もう一つは著者が集めた元昭和通商社員の阿片流通に関する具体的な証言だ。
 吉林など満州の数カ所に陸軍直轄(!)の阿片ケシ栽培所があったこと。ひょっとすると前回取り上げた『戦争と日本阿片史 阿片王 二反長音蔵の生涯』の主人公の二長反音蔵が、ケシ栽培の指導に訪れた満州の村というのは、陸軍直轄だったのかも知れない。
 阿片は主に、物々交換による戦略物資入手と、現地住民の宣撫用、そして医療用に使われたこと。
 精製は住友系の大日本製薬という会社が行い、それとは別に流通には参天製薬も参加していたこと(そう、精製の利得を享受したのは、先行して技術開発を行った星製薬ではなかった。ちなみに大日本製薬は、戦中から戦後にかけて疲労回復薬「ヒロポン」も生産していた。言わずと知れた覚醒剤である)。
 日本陸軍は当初賭博による闇資金調達を画策したが、さすがに軍が賭場を開くわけにいかず、阿片に手を出したこと――賭場の開帳まで考えていたという陸軍の没義道振りには恐れいる。
 阿片を使った物資調達や宣撫は、「高貴薬工作」と称されていたこと。ほとんどの場合、阿片は未精製のものを石油缶に詰めて取引されたこと。
 「当時はクーリーには塩と阿片が不可欠だった」というような生々しい証言も出てくる。中国大陸においては塩と阿片がなければ、労働力を集めることはできなかったのだ。

 さらに、戦後の怪談に近いような話も飛び出す。元昭和通商・海老沢秀行氏が証言する、「持ち帰られた阿片8トン」の話だ。
 昭和20年8月9日のソ連参戦後、満州にあった阿片12トンを国内に持ち帰る計画が動き、敗戦後の9月2日に8トンの阿片が唐津に水揚げされた。目減りした4トンは阿片流通の過程における地方有力者への“心付け”に使われたらしい。出荷者は関東軍、受取人は厚生省が指定されていたが、敗戦後の混乱で厚生省への問い合わせには返事がない。米軍が進駐してくる中、阿片は厄介者扱いされ、神戸へたらい回しとなる。神戸港も阿片の水揚げを拒否し、船は和歌山港に向かう。和歌山で阿片の存在が酔いつぶれた船員経由で朝日新聞記者に漏れて記事になり、進駐軍の手が入って関係者は逮捕され、海老沢氏をはじめとした全員が実刑となった。
 ここで問題なのは、阿片の行方。和歌山でトラックに積みかえられた阿片8トンは進駐軍の待つ東京へと輸送されたが、途中トラックごと消えた。後に箱根山中で乗り捨てられたトラックが発見されたが、阿片はなかった。運転手も、監視役として乗り込んでいたはずの米軍兵士も消え失せた。
 敗戦後の混乱の中で、何者かが強奪したのである。おそらくは計画的に。
 8トンの阿片には莫大な価値があったことは間違いない。この阿片を誰が手に入れ、どこで換金し、どのようにその金を使ったか。これは戦後秘史に関係する重大事だと思うが、本書にはその後についての情報は記載されていない。

 本書のしめくくりは、著者がたどった戦後の過酷な引き揚げの状況だ。著者は昭和20年5月に帰国して結婚。そのまま日本にいろ、いずれ日本は負けるから、という周囲の声を振り切り、新妻を連れて満州に戻ってしまったのだ。仕事への責任感からだった。ここでも「いずれ日本は負けるから」という声があったことから、昭和通商の持っていた情報網の確かさがうかがい知れる。
 そこからの過酷な引き揚げの状況は本当に涙が出る。その過程で妻は体を壊し、帰国後に死んでしまう。ラストは墓前で呆然とする著者の姿で終わる。

 阿片ビジネスのみならず、軍隊とは何か、日本の戦争遂行の体制はどんなものだったのかをうかがい知ることができる、大変貴重な本である。


【今回ご紹介した書籍】 
阿片と大砲 −陸軍昭和通商の7年−
  山本常雄 著/四六判上製/270頁/価格(本体1700円+税)/1985年8月刊行/
  PMC出版(品切れ中)


「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2017
Shokabo-News No. 331(2017-1)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在,日経ビジネスで「宇宙開発の新潮流」,日経テクノロジーで「小惑星探査機はやぶさ2の挑戦」を連載中.主著に『われらの有人宇宙船』(裳華房),『飛べ!「はやぶさ」』(学習研究社),『増補 スペースシャトルの落日』(ちくま文庫),『恐るべき旅路』(朝日新聞出版),『のりもの進化論』(太田出版)などがある.Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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