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雑誌「生物の科学 遺伝」 2001年5月号

特集:科学史をたどる生物の学習

特集にあたって

田幡憲一・佐倉 統

1.新学習指導要領の特徴
 1999年3月に告示された学習指導要領(以下新学習指導要領)1)における理科の取扱いには大きな特徴が二つあります.  まず,主に物理,化学分野をエネルギーという観点から統合した理科総合Aと,主に生物,地学分野を生命と地球の相互作用という観点から統合した理科総合Bが設置されたことがあげられます.理科総合A,Bは,ともに多くの高校生が履修することが予想されます.高校で生物を勉強してこない医学部生が問題となっていますが2),2003年からはこのような心配も少なくなると考えています.  もう一つは,科学史を踏まえて理科の全分野を学習する理科基礎(表1)が設置されたことです.

2.科学史を学ぶことの意義
 理科基礎で重視されている,科学史を理科の授業に導入することには多様な意味があります3).授業にストーリーをつくれること,高等学校でも少し工夫すれば実施が可能な実験が科学史上には多くみられること,科学者の研究の過程をたどることにより科学の方法を学習できること,科学史上の出来事を挿話として導入し授業に潤いを与えることができること,などがその例としてあげられるでしょう.  さらに,科学史を学習することにより,現代を相対化して考えられるようになることも大切なことです.社会的な価値観によって科学への評価が影響されることや科学の進展によって社会的な価値観が変化することを認識し,科学そのもののあり方を考えられるようになること,と言ってもいいでしょう.米ソ冷戦下の競争によって発達したロケットで打ち上げられた宇宙船から人類が地球を見ることにより,地球環境に対する認識が深まったことは有名な話です.理科基礎の内容の大項目に,「(3)科学の課題とこれからの人間生活」があげられているのも,このような問題意識の現れでしょう.

3.現行の生物教科書と科学史−生物TBを中心として
 現行の生物教科書では科学史はどのように取り扱われているのでしょう.  学習指導要領をより詳しく解説するために文部省は冊子を作成しています.そのうち高等学校学習指導要領解説理科編理数編(1989)4)の,現行の生物TBに関して述べた部分の中に,「…光合成のしくみが解明された過程を追いながら論理的に考えさせるようにする.」,「…呼吸の仕組みが明かにされた過程に重点を置いて扱い,…」,「発生の仕組みを扱うに当たっては,形成体の働きを中心に,実験によって発生の仕組みが次第に明かになってきた過程に重点を置いて扱う.」などの文言がみられます.この文言に従って,生物TBの教科書の「同化」,「異化」,「発生」の単元には,科学史が出てきます.生物TBは,教科書検定の際,探究活動に仮説の設定を入れることが強く求められるなど5),科学の方法の学習が意識された科目です.科学史の導入にも,科学の方法を学習する意図があったのかもしれません.  表2に,生物TBの教科書の「同化」,「異化」,「発生」の単元ごとに,それぞれ何名の研究者の名前が出てくるか,平成13年度使用予定の生物TBの教科書のうちの13冊を調べた平均を示しました.ダントツに多かったのが「同化」すなわち光合成を扱う単元で,ついで「発生」の単元でした.「異化」すなわち呼吸を扱う単元では,掲載されている科学者の名前も少なく,教科書によっては,名前がぜんぜん見あたらないものもありました.  表3に,10冊以上の教科書に登場した科学者を,頻度の高い順に並べました.「発生」の単元では,「…形成体の働きを中心に…」と,高等学校学習指導要領解説理科編理数編4)に記されていますので,キーワードとなって記された「形成体」という概念を考え出したシュペーマンや,原基分布図の研究を行なったフォークトの名前が出てくるのは自然かもしれません.「同化」の単元では,7人の研究者が10冊以上の教科書に登場しました.教科書ごとの登場者数の平均が8.9人だったことを考えると,どの教科書にも同じような研究者が登場していたと言っていいでしょう.この単元の解説には「形成体」にあたるようなキーワードでの束縛はありませんでしたので,科学史の取扱いにもっとバラエティーがあってもよさそうなものなのですが,この分野の科学史の取扱いには定番があるということなのでしょう.一方,「異化」の単元に関しては,登場する科学者の人数も少なければ,登場する科学者の名前も教科書によってまちまちで,パスツールが6冊に,ラボアジェ,ブフナーが5冊に登場する程度でした.「異化」の単元を科学史的に取り扱うにはまだ定番と言ったものがなく,今後の教材研究が必要だということか,あるいは「異化」は科学史を導入することがあまり適当でない単元だったということなのかもしれません.  新学習指導要領を解説する高等学校学習指導要領解説理科編理数編6)の生物Tに関する部分には,「発生の仕組みを扱うに当たっては,誘導現象など代表的な例を取り上げ,実験によってその過程が次第に明かになってきた過程に重点をおいて探究的に取り扱い,…」とあります.また,生物Uに関する部分を読むと,「…光合成では反応の各段階の仕組みが解明された過程について,幾つかの研究例を取り上げて論理的に考えさせるようにする.」とあります.「同化」と「発生」については,現行の生物TBと同様な科学史の取扱いがみられそうです.もっとも生物TBの履修者と比べて,生物Uの履修者の数は大幅に減少しそうですが.  現行の生物TBや,新学習指導要領での生物T,Uでの科学史の導入の仕方はどちらかというと,学習プログラムのストーリー性をつくったり,科学研究の進め方を学ぶなど,「科学史を学ぶ」というよりも,「科学史を使う」ということに力点が置かれているようです.

4.科学史をたどる生物の学習
 現行の学習指導要領下でも理科の全分野を統合した「総合理科」という科目がありますが,教科書が1種類しか発行されていません.総合理科の履修者は,全国的に少ないのです.このような状況を考えると理科基礎の履修者も多くないことが予想されます.また,大学入試などのことを考えれば,学習指導要領が変わっても,極端には内容の変わらない科目を高等学校で取り扱うのも自然なことです.  けれども,環境問題や遺伝子治療など,先端科学の成果が人間の価値観に大きな影響を与える現代です.科学史を学び現代を考える授業が,もっとあってもいいと思います.  新学習指導要領の特徴である総合的な学習の時間の学習活動の例の中に,「国際理解,情報,環境,福祉健康などの横断的・総合的な課題についての学習活動」とあげられています.理科基礎の教科書を副読本として,総合的な学習の時間に実験や観察をもとに科学史を学ぶこともあり得るのではないでしょうか.  以上のような問題意識のもと,本特集では,高等学校理科での科学史の取扱いを,生物分野を中心に考えていきたいと思います.  佐倉が科学史を学ぶことの意味についての試論を展開します.これまでの理科教育の方法とは異なる授業の提案でもあります.読者の皆様がどのようなご意見をもたれたか,ご意見をお寄せいただければ幸いに存じます.  梅埜氏は,1963年に発行され,日本の生物教科書にも大きな影響を与えたBSCS青版の初版と,現在発行されている7版における科学史の取扱いの相違と,その意味を論じます.現在の日本の高校生物の教科書と比較していただけたら,より興味深い論考となると思います.  「オームの法則」や「ニュートン」など,しばしば法則や単位が人名にちな因んで命名されます.これをエポニミーと言います.松香氏は,生物の教科書にもしばしば見られるエポニミーについて解説します.  川島,北田,青柳,竹入,小田切・高橋の6氏は,それぞれ高等学校で開発した,生物教育への科学史のさまざまな導入の具体例について紹介します.  新たな魅力ある生物の授業をつくっていきたいと思います.

文  献
1)文部省告示 高等学校学習指導要領.大蔵省印刷局(1999).
2)松田良一・正木春彦 編:日本の理科教育があぶない.学会出版センター関西/学会出版センター(1998).
3)徳永好治:理科教育と科学史.これからの理科教育,日本理科教育学会 編, pp.26-31,東洋館出版(1998).
4)文部省:高等学校学習指導要領解説理科編理数編.実教出版(1989).
5)田幡憲一 企画:特集・新しい生物教科書を語る.遺伝,48(3),10-44(1994).
6)文部省:高等学校学習指導要領解説理科編理数編.大日本図書(1999).
(たばた けんいち,宮城教育大学 理科教育;さくら おさむ,東京大学大学院 情報学環)



         

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