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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第36回 二輪産業を締め上げた私達の「新しいもの嫌い」

  おりもとみまな 著『ばくおん!!』(秋田書店)
  トネ・コーケン 著『スーパーカブ』(角川書店)

 一つ質問、1980年に643万4524、2017年に64万6983――これが何か分かるだろうか。
 答えは国内の二輪車生産台数である(日本自動車工業会調べ)。今や日本国内におけるバイク産業は最盛期の1/10になってしまっているのである。壊滅と言わねばならないほどの惨状だ。
 その背後には若者がバイクに乗らなくなったという事情がある。車検がないため維持費が安く入門用に購入されることが多い排気量126cc以上、250cc以下のエンジンを搭載した軽二輪車の生産台数は、1980年に66万831台だったものが、2017年には7万8993台にまで落ち込んでいる。

 バイクが売れていた1970年代から80年代にかけて、『750ライダー』(石井いさみ)、『ふたり鷹』(新谷かおる)、『バリバリ伝説』(しげの秀一)、『風を抜け!』(村上もとか)、『TWIN』(六田登)、『ペリカンロード』(五十嵐浩一)、『キリン』(東本昌平)など、数多くのバイクマンガが描かれた(ここでは暴走族マンガは除外する)。小説でも、1960年代の『汚れた英雄』(大藪春彦)あたりを嚆矢に、『鉄騎兵、跳んだ』(佐々木譲)、『ボビーに首ったけ』(片岡義男)、『虹へ、アヴァンチュール』(鷹羽十九哉)など、バイクを主題にしたり重要なモチーフに使ったりした作品が生まれている。

 では、2018年現在は? ということで今回の作品である。

『ばくおん!!』(秋田書店)カバー  『ばくおん!!』は、珍しくもバイク部のある女子高を舞台に、うかうかとバイクに魅せられてしまった女子高生たちのドタバタを描いていくマンガだ。タイトルからも分かるように、2009年から2010年にかけてアニメ化されて爆発的人気を得たマンガ『けいおん!』(かきふらい。こちらは女子高の軽音楽部が舞台)をなぞった構成になっていて、キャラクターの造形はかなり重なる。
 ただし、ふわふわとした日常描写に徹しておよそ毒というものがなかった『けいおん!』に対して、『ばくおん!!』はマニアックかつ毒の効いたギャグを連発してくる。特に、スズキのバイク大好きの凜ちゃんというキャラがやらかすあれこれは、バイクを知る者には爆笑したり身につまされたりだ。なにしろ彼女は、通学に使うカバンに「コスト!!!品質!!!生産性!!!それがすべてだ!!!」などとしゃべる“オサムちゃん人形”を吊しているのだ。言うまでもなくモデルは、業界の大先達であり強烈なキャラクターで有名な鈴木修・スズキ代表取締役会長である。

『スーパーカブ』(角川書店)カバー  これに対して、『スーパーカブ』は、ひたすら地味なヤングアダルト系小説である。両親を失い、奨学金を得て高校に通う孤独な少女・小熊(こぐま)が、ふとしたことから中古のスーパーカブ――ホンダが作り上げた世界に誇る傑作バイクだ――を手に入れ、少しずつ生活が変化していく様子を丹念に描写していく。それまでと比べると各段に行動半径が拡がり、カブを通じて友達ができ、新たな体験をし、さらなる新たな体験へと踏み出せるようになり――この小説においてスーパーカブは、小熊を新たな人生へと導く魔法の道具だ。カブを手に入れたことで、小熊の生き方は少しずつ、しかし決定的に変化していく。
 これもまた、『ばくおん!!』と同様に女子高生の物語だが、様相は大分異なる。毒のあるギャグを連発しつつも、基本的に『ばくおん!!』は社会的な責任とは切り離された女子高生ライフを描くというところで、換骨奪胎した元の『けいおん!』と同じ骨格を持っている。そこには成長の概念は希薄だ(しかも、主要登場人物のひとりは、決して学校から卒業しない妖精か神のような超自然的存在である)。対して『スーパーカブ』は、古典的な成長の物語と言えるだろう。小熊はバイクに乗ることで自らの世界を拡げ、大人になっていく。

 さて、バイク最盛期の1980年代と2018年の、バイクを巡る物語の違いは何か。単純に主人公が男か女かということか。レースを中心に“闘争”にスポットが当たった80年代に対して、女子高生のふわっとした日常が中心に座っている現在という差異か。

 実は一番の違いは、登場人物たちとバイクとの関わりだ。

 かつてのバイク最盛期に発表された作品では、登場人物とバイクは切り離すことができない。彼らとバイクは、のっぴきならない結びつきを持っている。『バリバリ伝説』の主人公、巨摩郡(こま・ぐん)がバイクを降りるというのはとてもではないが考え難い。それは『ふたり鷹』の沢渡鷹と東条鷹も同じである。これらの作品には、「人生即バイク」と形容すべき切迫感がある。
 連載途中で暴走族っぽい雰囲気から脱して青春グラフィティとなった『750ライダー』でもこの切迫感は変わらない。あなたは、早川光がホンダCB750K2から降り、二度と乗らないなどということを想像できるだろうか。光のナナハンのリアシートに委員長が乗らない日が来るなどと、考えることすら難しいではないか。
 そういう切迫感は、現在の2作品にはない。『ばくおん!!』のバイクのところを、なにか別の趣味に置換しても、彼女たちの高校生活は支障なく続くだろう(実際、パラレルワールドという形で、そういうエピソードも描かれている)。また、成人した小熊が結婚なり出産なりの人生の節目でスーパーカブを降りたとしても、おそらく『スーパーカブ』という物語はきれいに完結するはずだ。

 この関わりの変化をもたらしたのは、間違いなく現実におけるバイクの売り上げ激減だろう。バイクとののっぴきならない関わりを「ああ、あるある」と思う読者が減り、むしろバイクに乗ったことがない「バイクってどんなもの?」という読者が増えたのだ。
 では、なぜ1980年代に隆盛を極めたバイクは、若者の興味対象から滑り落ちたのか。

 やはり「三ない運動」の影響は大きかったのだろうと思わざるを得ない。
 「三ない」とは、高校生に対する「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」の三つを徹底しようとする教育運動だ。1970年代に暴走族の増加に伴って活発化。1982年には、全国高等学校PTA連合会が「三ない運動」推進を決議するまでになった。もちろんこれに対して、「高校生からオートバイを取り上げるのではなく、適切な使い方を教えるべきだ」という主にバイク業界からの反論もあり、必ずしも全国が三ない運動一色に染まったわけではないが、それでも2000年代に入るぐらいまで、免許を取得したりバイクを買ったことが分かると処罰を受ける高校は存在し続けた。30年にも渡って、「バイクは危険だ、バイクに乗るな、免許取って乗ったら処罰だ」という教育をする高校が全国に散在していたわけだ。
 一世代もそんなことを続ければ「バイクは危険だ、乗るのはバカだけ、乗るだけつまらない」と考える者が社会に拡がっていくのも道理である。そんな者たちが親となった時に、子どもに何を言うかは明白だ。見る影もないバイク販売台数の落ち込みの、少なくとも有力な原因の一つだと言えるだろう。
 そもそも、三ない運動は、バイクという生活の中に入ってきた新たなモビリティに対して、「それを社会に定着させる」ではなく「やみくもに拒否する」というラダイト運動の一種であった。また、教育という観点では「新しいモビリティに対する教育を行う」ではなく「教育を拒否することで、問題そのものを消滅させる」という教育の敗北ともいうべき運動だった。

 ではなぜ、そんな三ない運動がはじまったのか。

 根底には「今日と同じ明日がいい」「新しいものは違う明日を持ってくるからいらない、拒否する」という私たちの心のありようが存在している――私はそうみている。それは「今日を変えることで、明日がよりよいものになる」という考えと真っ向から対立するものだ。毎日勤勉に同じ作業をしていると秋の実りが保証される農耕民族的思考とか、色々分析はできるかもしれない。
 新しいものを一律拒否する心が、三ない運動となったのである。

 そもそも、1950年代にバイクの普及が始まった時、最初に飛びついたのは比較的裕福な家庭の子弟で、しかも新しいものが好きな者だった。彼らはバイクという新しい道具に夢中になり、より速く走らせようと工夫した。それが、カミナリ族を生んだ。
 カミナリ族とは、エンジン高出力化のためにバイクのマフラーをいじり、結果として大音響を振りまくようになったバイクを乗り回した若者たちのことを指す。彼らは大音響と共に大人社会への反抗の象徴ともなった(大音響と反抗が結びつくあたりは、少々ロックンロールとも似ている)。
 三島由紀夫の戯曲「美濃子」(1963年)には、主人公の豊ら若者がバイクに乗り「マフラーは外せ。単車はとどろく。腐った奴らは、みんな轢き倒せ。
 我ら素戔嗚(スサノオ)!いざ戦はう。古きを倒せ。」と叫ぶシーンがある。

 新しいテクノロジーに心酔し、社会への不満を抱く若者が出現した時、社会は何をすべきか――そのテクノロジーを抱き込み社会に適応させ、テクノロジーを使うよりよい社会へと自らを変革すべきである。
 が、1950年代から60年代にかけて、カミナリ族が発生した日本は、そのようには動かなかった。むしろカミナリ族を忌避し、遠ざけたのである。

 その結果、何が起きたか。カミナリ族から暴走族への変化である。

 「蒸気機関車が走ってくると、向こうからも蒸気機関車が走ってきた。機関手が必死でブレーキを掛けたが衝突。その瞬間向こうの蒸気機関車は消え、後に狸の死骸が残っていた」というような伝承を、民俗学は「蒸気機関車という新しい技術を、旧来の共同体が“狸が化かす”という伝承を使って自らの裡に取り込んでいった」と読み解く。
 暴走族は、バイクという新しいテクノロジーを、古い「今日と同じ明日がいい」という了解を持つ共同体が、受け止め、自らの裡に取り込むプロセスそのものであろう。
 カミナリ族はバイクが好きだったが、暴走族は別にバイクが好きでもなんでもない。
 彼らにとってバイクも暴走行為も「いつか卒業する対象」であり、目的は「今、仲間とつるんで走り、若い自己顕示欲を満足させる」ところにある。その機能は、日本各地に存在した若者が一時親元を離れて若者だけで生活を営む若衆宿そのものだ。若衆宿は古い共同体にもとから存在したものなので、カミナリ族を理解できなかった社会も、暴走族は「しょうがないなあ」と許容できる。
 暴走族に参加した当時の若者の多くが、驚くほど古い価値観に従順であったことは意識しておくべきだ。彼の多くは「バカやるのは今だけ」「ハタチになったらバイクを降りてクルマを買う」「そしてお父さんお母さんに孝行する」と語っていたのである。

 それは、社会の大多数にとって理解できる感情であり、それ故、1980年代から90年代にかけて、不良マンガのサブジャンルとして暴走族マンガが多数流通したのであった。

 結果、日本では、バイクという道具を、社会の中に便利かつ楽しい道具として位置付けるという作業は、中途半端に終わってしまった。それは1990年代以降、日米貿易摩擦に伴う日米交渉の中で、ハーレー・ダビッドソンを擁する米国からの要求に対してしぶしぶ譲歩をするという形で徐々に実現することになる。750cc以上の大排気量車の販売解禁、400cc以上のバイクに乗れる大型免許の教習所での取得、高速道路における制限速度を自動車と同等の100km/hにすること、高速道路での二人乗りの解禁、普通車と同等だった高速料金を軽自動車と共に引き下げ――これらは外交との絡みの中で実現していった。

 その一方で、教育の放棄と形容すべき三ない運動は、理由もなく「バイク怖い」「バイク危険」と考える層を増やしていった。暴走族の振りまく社会的迷惑が、その印象をさらに強化する。
 その結果が冒頭に述べた1980年に643万4524、2017年に64万6983、という数字であろう。今、日本のバイクメーカーはそれぞれ旺盛な需要のある東南アジアに進出し、現地の需要に応じた車種を現地生産するようになっている。つまるところ、新しい技術、新しい道具への無理解と無策で、私たちの社会はほぼ半世紀をかけて国内産業をひとつ潰したのである。

 話を、本に戻そう。
 『ばくおん!!』も『スーパーカブ』も、そんな社会に対してもう一度「バイクって面白いよ、楽しいよ」と語りかける試みと位置付けられるだろう。その次には、1980年代のバイクマンガのように、バイクという道具と切り離すことができない自分を描くマンガや小説が出てくるのではなかろうか。
 現在「サンデーGX」誌で連載中のバイクマンガ『ジャジャ』(えのあきら)はクラシックバイクへのマニアックな執着をテーマに据えることで、「バイクと共に歳月を重ね、生きていく自分」を描いている。また『グッバイエバーグリーン』(大森しんや)は、祖父の古いバイクを受け継いだ女の子がバイクと共に成長し、生きていく姿を描き切った。一見『スーパーカブ』と似た構成だが、描かれる動機にはかなり強い「バイクと共にいつまでも生きる」という切迫感がある。
 その流れの中で、ついにメジャー誌である「アフタヌーン」でかつてのようにバイクレースを主題に据えた『トップウGP』(藤島康介)が連載されるようになった。
 さあ、人口減少局面に入った日本社会でバイクの楽しみは、社会に受け入れられるであろうか。

 バイクは危ない乗り物というのは間違いない。が、同時にバイクでしかできない体験もある。無理にバイクに乗ることはない。しかし、ひとたび乗りたいと思った者を周囲が制止してもいけない――私はそう考えている。
 ところで、「何を熱く語っているんだ」と怪訝に思ったあなた、そうです。筆者は36年間バイクに乗り続け、今や手元にそれぞれ車齢20年を超えたサビだらけのバイクを3台所有する、自分でいうのもナニなのですが“筋金入り”なのでした。


【今回ご紹介した書籍】 
ばくおん!!』(既刊17巻)
  おりもとみまな 著/定価618円〜726円(税込)/2012年12月〜2023年10月
  秋田書店
  https://www.akitashoten.co.jp/series/2840

スーパーカブ』(全8巻完結)
  トネ・コーケン 著/定価660円〜726円(税込)/2017年5月〜2022年4月
  文庫判/角川書店
  https://sneakerbunko.jp/series/SuperCub/

「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2018
Shokabo-News No. 347(2018-9)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター.1962年東京都出身.現在、日経ビジネスオンラインで「宇宙開発の新潮流(*1)」を、「自動運転の論点」で「モビリティで変わる社会(*2)」を連載中。近著に『母さん、ごめん。−50代独身男の介護奮闘記−』(日経BP社)がある.その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数.
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura
*1 http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20101208/217467/
*2 http://jidounten.jp/archives/author/shinya-matsuura


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