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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第56回 日本も満洲国も、阿片と骨がらみの関係だった

  『続・満洲国の阿片専売』(山田豪一 著、森 久男 校閲・解説、汲古書院)

 前回取り上げた『満洲国の阿片専売』では、満洲国という傀儡国家が建国当初から阿片でずぶずぶであったことを概観した。
『続・満洲国の阿片専売』カバー  同書は1937年(昭和12年)までの状況を追っているが、当然著者はその後の、1945年(昭和20年)の敗戦までの満洲国阿片状況を追跡し、まとめるつもりでいた。ところが山田氏は、2005年に交通事故に遭い、その結果2007年に亡くなられてしまった。遺された未完原稿を歴史学者の森久男氏が校閲・補完し、同時に山田氏が校訂した山像虎興氏の回顧録と合わせて1冊にまとめて2021年に出版したのが、今回取り上げる『続・満洲国の阿片専売』である。未完原稿がベースなので、内容は前著よりも薄い。全400ページ強と、本も薄い。
 それでも、私のような素人が1938年から1945年にかけての満洲国の阿片状況を概観するには十分だった。

 1938年以降の満洲国の阿片政策は、専売制の確立と、戦争によるその崩壊とまとめることができる。
 阿片専売性は、阿片の流通を国が握り、国家財政に資すると共に、阿片中毒患者を把握して増加を防ぎ、最終的に阿片根絶に持ち込むというものだ。だから第一段階としては、国家機関以外の阿片の栽培・製造・販売ルートを根絶することが必要になる。阿片専売、特に専売の名を借りた密売は、大日本帝国の出先機関である関東庁の財源になってきたために、関東庁と名目上は独立国である満洲国との間に、深刻な対立を引き起こした。
 満洲国のパトロンたる関東軍が裏から手を回し、1934年(昭和9年)に関東庁は廃止となり、関東局と関東州庁の2つに再編された。司法、郵政の業務は関東局がもち、その局長は関東軍司令官の兼任となった。つまり阿片密売の温床となっていた南満洲鉄道の附属地の警察も、事実上関東軍が管理することになったわけである。関東州庁の権限は地方行政に限定された。その後1937年には、満鉄附属地は満洲国に返還された(ただし土地の所有権は変わらず満鉄がもつ)。建国から6年で、やっと満洲国は自らの阿片専売を貫徹する環境が整ったわけである。
 そうなると、阿片撲滅を悲願とする地元有力者、及び満人・漢人の満洲国政府高官が、専売制貫徹による阿片撲滅に向けて動き始める。傀儡国家を操る日本人も、その意向を無視することはできない。さらに、大蔵省から満洲国にやって来た星野直樹(1892〜1978)が作った、阿片を担保に国家予算を編成するスキーム(本コラム第55回参照)が、満洲国の決算書から国際的にバレてしまい、ハーグ阿片条約批准国から轟々の非難を浴びることになってしまった。「これは阿片撲滅に向けたプロセスの一部です」ということにしないと国際的な言い訳ができない。
 こうして専売制の確立と並行して、阿片撲滅への動きも活発化することになる。満洲国は1940年(昭和15年)1月、禁煙総局という部局を設置し、満洲各所に阿片中毒患者を治療する康生院という治療院を建設する方針を決定した。阿片専売収益で治療院を運営し、社会の中毒患者を積極的に治療していこうという計画だ。
 ところが、これがなかなか思うようにいかなかった。

 まず、地方自治体が満洲国政府の阿片漸減政策に抵抗した。
 満洲国建国から禁煙総局設立までは、阿片専売も中毒患者の治療も、国から地方自治体が委託を受けて行う仕事だった。地方自治体によっては地域の実力者が頑張って戒煙所という治療施設を設置し、先行して中毒者治療に注力していた。
 禁煙総局の体制は、それを一括して国の事業とし、満洲国政府自らが管理するという意味があった。が、専売の収益の一部は、委託業務を実施する地方自治体にも分配されていた。国家管理になると、その収益が失われると、地方自治体はこぞって禁煙総局に抵抗した。また、戒煙所を国の施設として康生院に衣替えするにあたって、満洲国政府は対価を払わぬ接収という形をとった。これでは、地域実力者に財政的損害を与え、加えてここまでの努力を無にして面子を潰すことになる。その結果、康生院設置はなかなか進まなかった。

 しかも、拡大する戦争が、阿片中毒患者治療を難しくしていった。
 そもそも石原莞爾(1889〜1949)の満洲国建国構想は、「日本と共に経済成長して、来るべき総力戦を勝利できるだけの経済力を備えた国を作る」というものだった。そのため満洲国は鉱工業立国が国家運営の基本となった。日本の商務省から満洲国政府にやってきた岸信介(1896〜1987)は、ファシズムに基づく統制経済体制で満洲国の経済を成長させる「満洲国産業開発五ヵ年計画」(1937〜1941)を推進した。公債発行で資金を調達し、その金で日本から生産設備などの工業インフラを導入し、鉱工業生産を向上させて経済成長を実現するという計画だ。当時世界で高く評価されていた、ソ連の計画経済政策「五ヶ年計画」をなぞったものである。
 しかし1937年の日華事変以降、日本はどんどん泥沼の戦争へと突っ込んでいった。日本国内の工業生産は戦争目的に使われるようになり、満洲国がいくら発注をかけてもブツが入ってこなくなってしまった。結果、満洲国内のインフラ整備は進まず、満洲国財政の赤字ばかりが増大するという事態になってしまった。
 それだけではない。満洲国のインフラ建設に必要な労働力は、外国である華北からの苦力導入で賄われた。甘粕正彦(1891〜1945)の金蔓となった大東公司が、手数料を徴収して入れた労働力である(第54回参照)。苦力達は収入を地元の通貨、つまり満洲国から見ると外貨に交換し、故郷に送金する。その結果、満洲国の外貨準備はどんどん流出し、1939年には、満洲国財政はデフォルトぎりぎりという状態になってしまった。
 こうなると、国家財政の赤字補填のために阿片専売収益が使われることになる。「もっと阿片を売れ」が表に出て「中毒患者を減らす」は後退してしまう。

 その一方で、関東軍が1933年の熱河作戦で切り取って満洲国に編入した阿片産地の熱河省では、1938年以降満洲国の収納に応じずに華北に密売するケースが急増した。この理由も戦争だった。日本陸軍が日華事変で戦線を拡大した結果、華北の阿片流通は混乱し、阿片価格が急騰した。阿片農家にすれば専売に応じて満洲国に収納するより、密売するほうがずっと儲かるということになってしまったのだ。
 専売政策は貫徹せずに収益は下がり、その収益も国家財政の補填に使われ、中毒患者治療に予算が回らなくなった。なんとか開設まで漕ぎ着けた康生院も、予算がなくて開店休業というところが続出した。

 そんな康生院を、今度は関東軍が利用することになる。1941年(昭和16年)7月、関東軍は、関東軍特種演習という大規模な軍事演習を、ソ連と国境を接する地域にある牡丹江北演習場で実施した。これは単なる演習ではなく、同年6月22日の独ソ開戦を受けたものだった。欧州ではナチス・ドイツが圧倒的優位でソ連軍を撃破している。これに呼応して日本は状況次第ではソ連に一戦仕掛けて、国境問題を解決するつもりだったのである。そこで、演習の名目で軍をソ連との国境地域に集めたのだ。今年(2022年)2月のウクライナ侵攻を前にして、ロシアがウクライナ国境地域に、演習名目で軍を集めたのとまったく同じことをやったわけだ。
 対ソ戦が始まると、必然的に多数の戦傷者が発生する。そんな戦傷者を収容する病院施設として、陸軍が目を付けたのが、開店休業状態の康生院だった。康生院は軍の施設となり、医薬品のデポが置かれ、阿片中毒患者の治療は一層遠のいた。
 1941年(昭和16年)12月の対米開戦で状況はますます悪化していく。1942年には、禁煙総局は中毒患者の治療を事実上放棄してしまい、阿片密売の取締に注力するようになる。密売を取り締まり、密売阿片を接収して販売すれば、利益を生んで満洲国の国家財政に資することとなるからだ。わずかに残った中毒者の治療も、「街で中毒患者を集めて強制的に治療し、治療を終えた者を、今度は強制労働に就かせて、国家の役に立たせる」という形に変質していった。
 それどころか、満洲国政府は新たに阿片を栽培する集団農場を立ち上げて阿片栽培を推進するようになった。日本軍がマレー半島やインドシナへと進軍したためである。それらの地域にも阿片常習者がいた。そこで阿片専売制を施行するとなると、日本が阿片の供給に責任を持たねばならない。満洲国は阿片供給国として、日本から期待されるようになってしまったのである。もちろん、阿片を輸出すれば、満洲国の国家財政も助かる道理である。
 「ああそうか」だ。第26回で、阿片ケシ栽培の先駆者の二反長音蔵(にたんちょう・おとぞう、1875〜1951)が、満洲に阿片ケシ栽培指導に赴いたというのは、この満洲国の阿片増産政策のためだったのだ。単に陸軍の裏金作りのための密売用の栽培を指導するだけではなく、大東亜共栄圏を覆う一大国策への貢献だったのである。
 ハーグ阿片条約に批准しておいて、これでは、大日本帝国、ダメダメだ。八紘一宇、五族協和、王道楽土といくら美辞麗句を弄しても、実態がこれでは「悪魔の薬を売る悪魔の国家」ではないか。

 そんな満洲国阿片専売の現場を、そこで働く者の目で見たのが、本書後半の「山像虎興回顧録──満洲阿片専売私記」である。山像氏(姓は「やまがた」と読む)は1910年(明治43年)生まれで、満洲国で阿片専売と中毒患者治療に従事した。戦後の1969年(昭和44年)に求めに応じて回顧録を執筆したが、事情があり未公表となった。本書に収録されたのは、山像氏が80代半ばを過ぎてから世に出すことを考えて山田氏に助力を求め、山田氏が歴史的資料と付き合わせて校訂した版である。
 これがすごい。満洲国の阿片の現場で何が起きていたのかが、生々しい迫力で描かれている。
 山像氏は愛媛県の出身。長崎医科大学を卒業して薬剤師の資格を取り、陸軍の衛生兵として徴兵の期間を過ごした。除隊後にスカウトされて陸軍特別情報員の訓練を受ける。位置付けとしてはスパイと現地調査員の中間あたりだろうか。
 1933年(昭和8年)に氏は満洲に派遣され、現地の阿片流通の実態調査に従事する。その過程で、氏は満洲国の実像をいやというほど実体験した。
 調査のために住み込んだ日本人の薬屋は、阿片の密売に手を染めて贅沢な生活をしていた。日本からやってきた官吏のあらかたはやる気がなく、中国人の上司や同僚をバカにして、ろくに働いてもいなかった。

「おそらく内地でも仕事がないので、役所から厄介払いとして送られてきたのでしょう。こんな人に限って、戦後また役人になって、『満洲はよかった。独立国の満洲で五族協和のために頑張った。その善意に間違いはない』と、今でも反省のないことをいっている。」(本書p.257)

 その一方で、日本に協力して満洲国高官となった現地実力者は蓄財にばかり熱心で、大規模な横領で財産を作っていた。
 氏は、満洲国を王道楽土とする理想に燃えていた。実像を知ったことで、落胆するのではなく、民のためには阿片を撲滅しなくてはいけないと考え、赴任先の黒竜江省のチチハルで、地域の阿片撲滅に向けた活動を開始した。
 チチハルは日本陸軍が駐屯したので、経済的には活況を呈していた。日本軍がいれば、日本人が集まり、やがて阿片密売に手を染める。満鉄附属地があり、警察権は関東庁がもっているので、満洲国警察は密売日本人を逮捕することができない。しかも、満洲国はハーグ阿片条約の手前、専売制施行の報道を禁じたので、誰も阿片の専売制度が施行されたなんて知らない。冬になると困窮した阿片中毒患者が屋外で凍死する。チチハル市の財政のなんと1/10が、凍死者のための棺桶購入に支出される惨状だった。
 山像氏は、中国人、日本人を問わず理念を一にしてくれる人を探し、すこしずつ味方を作っていく。ここで興味深いのは、満洲国のガバナンスだ。法律はあっても人と人との私的な関係、私的な友誼のほうが優先される。かなり壮絶な人治の巷だ。役所はトップが現地人でナンバー2に日本人が入り、事実上のトップとして裏から操るという構造だが、では、そのトップの人事を日本人がコントロールできるかといえばできない。そこは現地実力者たちの曰く言い難いパワーゲームで決まり、時には大きく乱れて内紛を起こす。
 氏は、阿片の利権を貪る反対勢力に脅迫されながら戒煙所を立ち上げて、阿片中毒患者を治療した実績を作り、その実績を武器として満洲国全土での阿片撲滅を満洲国政府に説いていった。こうやれば阿片は撲滅できるという実績付きだから、その影響力は大きい。やがて禁煙総局勤務となり、全国の阿片撲滅に携わるが、そこでも見るのは、やる気のない日本人官吏の姿だ。
 その後、山像氏は興安西省、錦州省の医療・衛生政策に携わり、敗戦の動乱も乗り切って、日本に帰国する。

 ──読後思わず「俺、これ知っている」と独り言が出てしまった。山像氏の描く満洲国の日本人官僚は、20年ほど前まで霞が関の中央官庁にいっぱいくっついている天下り法人でよく見かけた元官僚たちとそっくりだ。
 日本の中央官庁は同期からどんどん選抜していって最後に事務次官をひとり残す。残りは定年まで役所に残ることはできず、天下り先へと出ていくことになる。そのために官庁は様々な法人形態で天下り先を確保するが、そこに落ちてきた人たちの日常が、まさにこの満洲の日本人官吏たちと重なるのだ。
 つまり、日本の中央官庁から見た満洲国とは天下り先の一つだったのだな、と得心する。日本の天下り先なら、周囲が「そんなもんだろう」と流してくれた怠惰と無神経も、満洲では自分たちが支配する現地の人の視線にさらされる。これは、いくら五族協和と口でいっても恨みを買うだろう。

 ところで、この回顧録は、執筆時には世に出ることはなかった。元満洲国高官の古海忠之(1900〜1983)が没にしたからである。
 敗戦後、日本に帰ってきた満洲国関係者は、満蒙同胞援護会という組織を立ち上げた。1953年、この組織が中心になって自分たちの過ごした満洲国の歴史を編纂しようという動きが始まる。紆余曲折と中断を挟んで、1966年に満洲国史編纂刊行会を設置。古海は刊行会副会長に就任した(このあたり、ナンバー2がナンバー1を傀儡にしてコントロールするという満洲国のガバナンスを思わせる)。編集主任は、甘粕正彦の陸士同期にして親友で甘粕の「俺はなにもやっちゃおらんよ」という言葉を聞いた半田敏治(1882〜1967)が引き受けた(第54回参照)。

 刊行会は、関係者からの原稿を募り、満洲国史編纂事業を開始した。ところが、この時すでに半田は健康を害していてほどなく没した。1969年9月の編集会議で、古海は山像氏の提出した原稿の掲載に反対し、押し通してしまった。
 半世紀以上の時を経て刊行された山像回顧録を読むと、古海が「色々都合の悪い実情を書いてあるから、没にした」というのは明白だ。確かに1969年の段階では、岸信介はじめ多くの満洲国関係者が存命かつ現役だった。満洲国の実態が山像氏からバレると、皆かなりばつが悪い。それどころか、阿片というブツの特殊性からすればスキャンダルになってもおかしくはない。

 星野直樹の後を継いで満洲国官僚のトップに立った古海は、真実の開示よりも「事を荒立てず穏便に済ます」ことを選んだのである。
 いかにも……だなあ、とため息がでる読書であった。

【今回ご紹介した書籍】 

『続・満洲国の阿片専売』
山田豪一 著、森 久男 校閲・解説/A5判/436頁/定価13200円(税込み)
/2021年9月刊/汲古書院/ISBN 978-4-7629-6678-1
http://www.kyuko.asia/book/b590435.html

「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2022
Shokabo-News No. 378(2022-7)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター。1962年東京都出身。現在、日経ビジネスオンライン「Viwes」「テクノトレンド」などに不定期出稿中。近著に『母さん、ごめん。2──50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』(日経BP社、2022年6月刊)がある。その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数。
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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