第72回 本を楽しむ者、本で苦しむ者、そして図書館を圧迫する
新自由主義の黒い影
『本なら売るほど』(児島 青 著、KADOKAWAハルタコミックス、既刊3巻)
『税金で買った本』(ずいの 原作、系山 冏 著、講談社ヤンマガKCスペシャル、既刊20巻)
書痴(しょち)という言葉がある。読書、あるいは本そのものの収集に熱中し、生活がおろそかになる程の人のことを形容する言葉だ。
本にはそれだけの魔的な魅力がある──と書いて、理解できる人と理解できない人がいるだろう。裳華房のメルマガを購読する皆さんは、おそらくあらかた「ああ、そういうことはある」と思う側であろう。が、世間一般では逆だ。「家に本棚がない」あるいは「本棚はひとつだけで、それもスカスカ」というほうが多数派なのである。
本は、紙の印刷物を束ねて閲覧しやすい形態にまとめたものだ。が、それ以上の意味をもつ。紙を束ねることで、そこには「ひとつの意味の塊」ができる。その塊は物理的に人体が扱える大きさ、重さでなくてはならない。同時にその塊が、一度に人が読解できる情報量である必要がある。本は物理面でも情報面でも、人間という生物の能力に規定された存在なのである。
それゆえであろうか、本には他の人工物とは異なる、格別の愛着が発生する。それが、もう書店で手に入らない本、古書店でしか買えない本ならなおさらだ。
すると、本を愛する書痴の間に、本にまつわるドラマが発生する。
『本なら売るほど』は、古書店「十月堂」に集まってくる人々が、本と関わることで発生するドラマを描いたマンガだ。マンガ誌「ハルタ」に2023年から連載され、2026年に第30回手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞した。
一応、十月堂店主の青年(名前が出てこないので、以下十月堂氏と記述する)が主人公ではあるが、彼はむしろ狂言回しであって、作者の目は十月堂に集まってくる人々に注がれている。
十月堂に売った本に5万円が挟んだままになっていたおばあさん。お金を返しに行った十月堂氏は、本の持ち主であった亡き夫の、おばあさんも知らなかった洒脱な一面を見つけ出す(関係する本は、寺田寅彦の随筆集)。
大量の本を相続し、読まぬままにその本を愛する書痴の青年と、その青年と一緒にアパートの壁一杯もの本棚をつくろうとするホームセンター勤務の友人(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)。
ちょっとしたことですれ違い、あるいは一致する和服を愛する三人の女性(岡本綺堂『半七捕物帳』)──。
話が進むにつれて、あっちの回の登場人物がこっちの回にも登場するということが重なり、十月堂を中心にして思いよらぬ濃密な、しかし決して暑苦しくはない、むしろ知的で快い人間関係が展開していく。
その知的な清潔感は、本という知性を運ぶ道具を主題としているところから発生しているのだろう。活字の本をあまり読まない人でも、このマンガを読んでいくうちに「ここに登場する本を読んでみたい」と思うはずだ。
同時に、古本屋稼業のシビアな実態も描かれる。そもそも第1話「本を葬送る(おくる)」は本を捨てる話だ。
ある日十月堂氏は、故人の書斎の整理を依頼される。そこは長年かけて趣味人だった故人が組み上げた理想的な本のコレクションがぎっしりつまった、本の楽園というべき場所だった。が、十月堂氏はその楽園から、限られた時間内に売るべき本を選び、捨てるべき本を残すという選別をしなくてはならない。古本屋は仕入れた本を選別する過程で、多数の本を破棄しなくては成立しない職業なのだ。
「売る本と捨てる本、潰す本」というシビアな話は、連載が進むなかで何度も取り上げられる。著者は古物商を営んでいた経験があるとのこと。人々の交流の結節点となり、楽園とも見える古書店が、厳しい現実の中で漂流しつつ商売を続けているという視点が、本作では一貫している。
本を通じて広がる人々の交流、しかし「板子一枚下は地獄」。
足下が地獄であるが故に、人の交わりは一層輝く──『本なら売るほど』はそういう構造をもった作品だ。
では、そんな「足下」ではどんな人たちが働いているのだろうか。
今回取り上げるもう一つのマンガ『税金で買った本』は、そんな「足下の地味でめだたない場所。地獄というにはあまりに日常だが、多数の本に囲まれつつも決して天国ではない場所」──地方都市の市立図書館で働く人たちを描く。2026年9月現在、NHKでテレビドラマが放送されている。
主人公の石平紀一(いしだいら・きいち)君はイキる不良の高校生。市立図書館の図書カードをつくった際の、ささいなトラブルから持ち前の好奇心を刺激され、市立図書館でアルバイトをするようになる。こうして「図書館の中の人」となった石平君の視点から、図書館という職場の仕事の内容や、実情が描写されていく。
石平君を指導するのは、眼鏡が似合い、いつでも丁寧に仕事をする早瀬丸小夜香(はやせまる・さやか)さんと、大柄で筋肉隆々にして力仕事が得意、しかし心は繊細で対人恐怖症っぽい白井里雪(しらい・さとゆき)さんという2人の職員。基本は、「あまり知られていない職業の内実を教えてくれるマンガ」という体裁だ。
外側から見る公立図書館は『「本という知性を運ぶ道具」を税金で買って誰でも読めるようにしてくれる場所』だ。しかし、石平君が早瀬さん、白雪さんを通じて見る図書館の現場は、決して「本に囲まれた天国」とは言えない。
図書館には変な人もやってくる。朝は新聞を読むだけの高齢者が席を争い、その日の新聞を手前勝手にも一人で抱え込もうとする。時にはひどい臭いを振りまく住所不定と思しき人もやってくる。が、みんな市民であって図書館を利用する権利があるのだから、にこやかに応対しなくてはいけない。
借りた本を返さない人がいるし、汚してしまう人もいる。ひどく汚れた本は弁償の対象となるが、誰もが気持ちよく弁償してくれるわけではない。逆ギレして職員をどなりつける人もいる。破損した本は、修復可能な場合は、職員が修復する。が、丁寧に修復しようとすると予算の関係で材料費が職員の個人持ちになってしまうこともある。
市立図書館レベルでも収蔵する本は万を超えるので、何冊も行方不明になったりする。その場合、長期休業を使って行う総点検で、「消えた本」を職員総出で探し回ることになる。
手持ちの本を寄付する人もいるが、ではその本が市立図書館にすべて必要かというとそうではない。時には括弧付きの「善意」を無情にも突き返さねばならない。
そしてなによりも、早瀬丸さんも白井さんも、そして登場する図書館職員の大部分が正規雇用ではない。身分は不安定で給料も安い非正規雇用に留め置かれている。
彼らは「本と関わる仕事がしたい」という情熱を搾取されている。なぜなら、市の正規雇用では、市立図書館は人事ローテーションで常に人が入れ替わる「市役所の仕事」のひとつだからだ。ずっと図書館の仕事がしたければ、非正規雇用を受け入れるしかない。
非正規雇用のまま長年勤務すると、図書館の仕事にどんどん精通していく。しかし、ローテーションで交代していく正規雇用の市職員はそうではない。すると正規雇用と非正規雇用の間で、図書館の運営を巡って対立が発生する。
それどころか「市役所で使えない無能と烙印を押された正規雇用の職員」が図書館に送り込まれ、無用の軋轢を引き起こすこともある。
「よくある職場のうんざりする話」の連続なのだが、読み進めても決して不快にはならない。石平君が、図書館でのバイトを通じてどんどん「好奇心が強い本好き」という資質を開花させて成長していくからだ。やがて、「大学に進学するのはダルい」と考えていた石平君は、将来の職業として司書を意識するようになる。
私は図書館のヘビーユーザーであり、ポケットには常に図書館6館の図書カードを所持している。地元の市立図書館、そして本を借りることが可能な近隣市立図書館のカードが合わせて4枚、県立図書館、そして国会図書館で合計6枚。加えて、自分が卒業した大学の大学図書館と、住所とは関係なくカードをつくることができる東京都千代田区立図書館の図書カードも持っている。物事を調べる仕事をしていると、これほどまでに図書館のお世話になる。
だから、昨今の「図書館職員は非正規雇用で済ます」という地方行政に腹が立ってたまらない。図書館は、決して「無料でベストセラー本が読める便利な貸本屋」ではないし、「おしゃれな環境でコーヒー片手に本が読める喫茶店」でもない。地域の知を根底から支える知的拠点だ。だから、きちんと司書資格を持つ者を専門職として正規雇用しろ。正規雇用で図書館に勤務し続けられる雇用体系を作れ。強くそう思う。
しかし、全国的に公立図書館の予算は長期的に減少し続けており、中でも新たな本を購入する資料費は大幅に減らされている。非正規雇用は増えこそすれ減りはしない。
そうなる理由は国が「行政の効率化」を旗頭に、公共施設の運営を民間に委託する指定管理者制度の導入を推進しているからだ。官の運営は非効率だ。民間に委託しろ、民間に委託したら経費は安くなるのが当然だ。削れ──ひどく雑な論理である。
地域の図書館は一般大衆レベルでの知の涵養を受け持つ。それは、効率化を指標とする新自由主義経済の論理に馴染まない。
今、日本は40年近く間違った新自由主義的政策を文化行政においても推進しつづけた結果、知的にも、経済的にも沈没しているように見える。その傾向はますます強くなっており、ついには「経済財政運営と改革の基本方針2026(骨太方針2026)令和8年7月21日閣議決定」に「人社系のダウンサイジング」と記載するところまで至ってしまった※。
国の公文書に「学問を縮小する」と記載されてしまったのである。
※https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/honebuto/2026/2026_basicpolicies_ja.pdf
人文社会科学系のダウンサイジング──学問に対してダウンサイジングとは一体どういう了見か。経済活動ならダウンサイジングで組織を効率化するということが言えるだろうが、多様化こそが発展の鍵である学問において、ダウンサイジングするとは意図的な衰退を意味する。
日本政府はどこまで愚策を推進すれば気が済むのだろうか。日本国民全員がバカになるまでか? 日本国が滅ぶまでか?
理系の学問が「自然界に存在する、未だ人間の知らない正解を見つけ出す学問」なら、人文学は「そう簡単に答えの出ない、ひょっとしたら答えはないかもしれない、そんな人間に関する疑問を徹底してどこまでも考え続ける学問」である。短絡的に「答えがないならダウンサイジング」とするなら、いつか答えが見つかるかもしれないのに、探し続けることを放棄することになる。
それは一切の「社会をよくする、より多くの人がより幸福に人生を全うできる社会を作る」という目標を放棄することに他ならない。
確かに本を巡る状況は「板子一枚下は地獄」だ。が、その地獄は、存在意義があるのに政治により、行政により、貶められることによって発生している。
『本なら売るほど』は、知的であること、感性豊かに生きていくことの快感を教えてくれる。そして、『税金で買った本』はそうした愉悦の源泉である本を巡る状況が、足下から他ならぬ我々が選挙で選んだ政治(家)によって崩されつつあることをさりげなく、笑いに包んで伝えてきているのである。
【今回ご紹介した書籍】
※URLはいずれも第1巻のもの。また、すべて電子書籍も発売中です。
●『本なら売るほど』(既刊3巻)
児島 青 著/B6判/定価792円〜858円(税込)/2025年1月〜2026年4月
発行/KADOKAWA(ハルタコミックス)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322405000881/
●『税金で買った本』(既刊20巻)
ずいの 原作、系山 冏 著/B6判/定価759〜792円(税込)/2021年12月〜2026年8月発行/
講談社(ヤンマガKCスペシャル)
https://www.kodansha.co.jp/comic/products/0000358702
#2026年10月に21巻が発売予定。
「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2026
Shokabo-News No. 411(2026-9)に掲載
【松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】
ノンフィクション・ライター。1962年東京都出身。日経ビジネスオンラインにて足かけ4年にわたって連載してきた「チガサキから世間を眺めて」が今年3月に終了。近著に『ロケットサバイバル2030』(日経BP社)、『日本の宇宙開発最前線』(扶桑社)がある。その他、『母さん、ごめん。2』『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数。
X(旧Twitter)アカウント https://x.com/ShinyaMatsuura
※「松浦晋也の“読書ノート”」は、裳華房のメールマガジン「Shokabo-News」にて隔月に連載しています。Webサイトにはメールマガジン配信後になるべく早い時期に掲載する予定です。是非メールマガジンにご登録ください。
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