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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
鹿野 司の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第18回 差違を対等に面白がる関係

伊藤亜紗 著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)

 人が世界を認識するうえで、手がかりとしている情報の8〜9割は、視覚からきているといわれる。もし、それが失われたとしたら、おそろしく不自由な生活を強いられることになるだろう……。
 この考えに疑問の余地はない。でもそれは、事実の半分しか捉えていないともいえる。
 「目が見えない人」は、確かに晴眼者に比べて視覚情報をあまり利用できない。しかし、だからといって、感受している世界の豊かさが劣るわけではない。
 私事ではあるが、私は一昨年、網膜症を患い、一時は目の前にかざした自分の手の指が見わけられないくらいまで、視力が低下したこともある。
 その一連の経験でわかったのは、人間とは視覚にたよっているようで、実は様々な感覚を重ねあわせ、マルチモーダルな情報で世界を認識しているということだった。
 たとえばコップに水を注ぐとき、水面は見えていなくても音の変化で、だいたいの分量の見当がつく。また、たとえば引き出しにしまってある物の位置など、想像以上に体が記憶していて、その近くまで手を持っていくことでそれが思い出され、目的のものを探り当てられる。逆に、正常な視力があっても、目で見ているつもりで実は見ておらず、他の感覚を用いて目的を達していることも、どうやら少なくないらしいことにも気が付いた。
 私の視力は、元通りになることはなかったが(明るくても暗くても見づらく、以前よりコントラストや彩度の低いものは見わけられない)、視覚障害者に認定されない程度には回復している。
 一方、長年にわたって目が見えない人には、私の体験など遙かに越えた、奥深い認識の差違があることを、本書を読んで知ることができた。
 目の見えない人は、畳の目の方向を足裏に感じて、部屋の形を認識したり、音の反響からカーテンが空いているか閉まっているかも把握できる。それはある程度想像がつくのだが、もっと深く、世界を認識するイメージのレベルで、質的な違いがある。

 この本の著者、伊藤亜紗さんは、東京工業大学リベラルアーツセンター准教授で、美学が御専門だ。
 東工大のリベラルアーツセンターは、専門化によって細分化されタコ壺化しがちな学問への反省から、広く「人間としての教養」を追求することを目指して設立されたという。
 また、美学とは、伊藤さんによれば、感じる事はできるけれど言葉にはし難いもの、曰く言い難いものに、言葉でもって立ち向かっていく学問、とのことだ。
 さらに、彼女はもとはといえば、生物学を志していたのだそうだ。中学生のときに読んだ『ゾウの時間 ネズミの時間』(本川達雄 著、中公新書)で、動物は大きさによって生きる時間が違うという認識に触れ、またその中にあった「生物学者の仕事は、想像力を啓発することである」という言葉に感銘を受けたという。
 ユクスキュルの『生物から見た世界』(岩波文庫)では、あらゆる生物は、その生活する環境に即した、独自の世界イメージ=環世界の中で生きているという概念が示されている。伊藤さんの思いは、この環世界を、言葉で理解できる形で探求したいということだったのだろう。
 しかし、結局、大学の生物学は、教育が細分化されすぎていて、生命についての大きなビジョンが示されないことになじめず、文転して美学を専攻することになった。

 本書は、何人かの、それぞれ質の違う目の見えなさをもった人たちにインタビューして、彼らの環世界、そのいわく言い難いものを、言葉として表現した傑作と言える。
 大岡山の駅から、東工大の居室へ向かう道を、視覚障害者は、「ああ、大岡山とは確かに山で、今は谷を下っているのですね」と言う。ところが、あの界隈を歩いたことがある人ならわかると思うが、晴眼者でそんなイメージを持つ人はまずいないだろう。
 人は物理的空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。目が見える人は、道が見えるからこそ道に沿って歩き、視覚からの膨大な情報に惑わされて、何かを知覚できない。目が見えない人は、視覚情報がないぶん、道から自由であり、そこに山のイメージを関知する。同じ物理的な環境にありながら、全く違う世界を生きている。
 そしてその違いは、すばらしく面白い。
 伊藤さんはまた、この差違を対等に面白がる関係は、これまでの福祉的な関係では満たされにくかった、健常者と障害者のもう一つの関係性の手がかりにもなるという。
 健常な人が目の見えない人と接するとき、どうしてもある緊張を感じるだろう。福祉的な態度は、サポートしなければいけないという緊張感で、それがある種の打ち解けられなさ、よそよそしさにも繋がっている。
 しかし、お互いが、あなたたちの世界も面白いねえとわかりあうことから、その疎外を乗り越えていけるのではないか。
 思索の糧となる素晴らしい一冊だと思う。


【今回紹介した書籍】

◆『目の見えない人は世界をどう見ているのか
  伊藤亜紗 著/新書判/216頁/定価836円(本体760円+税10%)/2015年4月刊行
  光文社(光文社新書)/ISBN 978-4-334-03854-0
  http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334038540

「鹿野 司の“読書ノート”」 Copyright(c) 鹿野 司,2015
Shokabo-News No. 312(2015-6)に掲載 


鹿野 司(しかのつかさ)さんのプロフィール】 
サイエンスライター.1959年愛知県出身.「SFマガジン」等でコラムを連載中.主著に『サはサイエンスのサ』(早川書房),『巨大ロボット誕生』(秀和システム),『教養』(小松左京・高千穂遙と共著,徳間書店)などがある.ブログ「くねくね科学探検日記


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