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「生物の科学 遺伝」 2003年9月号(57巻5号)


特集 極限環境の小さな生物


特集にあたって


山岸明彦・黒岩常祥

 極低温の氷河,1万 mを超える高圧の海底,100 ℃を超える熱水中,氷の上,pH0の強酸性,飽和食塩水,強いγ線照射下でも生存し,生育する生物 とりわけ微生物がいる.これらの生物は,ヒトを含め普通の生き物ならば死んでしまう極限環境下でも生きながらえ増殖する.その驚くべき生態系,極限環境下への適応のしくみ,また,こうした生物はどのようにして進化してきたのか,さらに真核生物の起源の謎を解く鍵となるのか,この分野の第一線の研究者に最近のトピックスを含めてわかりやすくまとめてもらった.

 前半の三つの解説は,とりわけ極限環境下の生物の生態に着目している.幸島氏は,氷河に生息する生物について解説する.冷たい雪や氷の世界である氷河は,定住性生物のいない無生物的環境とされ,光合成生産もほとんどないと考えられてきた.しかし,低温で活動する昆虫類・ミミズ類・甲殻類・藻類・バクテリア(細菌・古細菌)など さまざまな生物が生息していることが明らかとなってきた.こうした生物の特徴について解説する.

 鈴木氏は,海氷藻類に関して解説する.海の上に浮かぶ氷の下には,0℃以下でも凍結しない部分が存在する.その部分には光合成を行なって生育する藻類が氷に色が着くほど繁茂している.鈴木氏の解説ではその生態,および そこに生息する藻類について論ずる.

 長沼氏の解説は,地下に形成されている地下生物圏の解説である.陸上の生物が太陽光のエネルギーに依存して生育しているのに対し,地下に生育する生物は地球の地下から湧き出てくる化学エネルギーに依存して生育している.その意味で,長沼氏はこの営みを「暗黒の光合成」と呼んでいる.

 後半では,圧力・温度・塩濃度・放射線に対して強度に耐性をもつ微生物について,その耐性機構の解説を行う.こうした極端な環境条件に対して大形の動植物は通常耐性が低く,その影は薄い.しかし,こうした環境下にも,顕微鏡で観察するならば しばしば多くの微生物が生育している.

 加藤氏の解説では,深度1万 mの深海底にすみ,1000気圧でも生育できる好圧菌について解説を行う.好圧菌に関しては,全ゲノムプロジェクトも進行し,その耐圧機構の研究も進行している.好圧菌研究の現状を概観してもらう.

 亀倉氏は,高度好塩菌について解説する.高度好塩菌は乾燥した塩の塊の中でも生きながらえ,飽和食塩水中でも生育する.塩を含まない水中ではむしろ瞬間的に死滅してしまう.こうした好塩菌のタンパク質の特性について解説する.

 鳴海氏は,放射線耐性菌に関して解説する.放射線はもちろん,生物に大きな影響を与える.バクテリアは,大形の動植物に比べるとはるかに放射線に対する耐性が高い.それでも,食物の殺菌のために用いられている高強度の放射線によってその多くが死滅する.しかしながら,そのような放射線にも耐えうる耐性をもった菌が存在する.その研究の歴史と現状について解説する.

 山岸は,好熱菌や超好熱菌と呼ばれる生物について解説する.好熱菌の中には113℃の熱水中でも生育できる超好熱菌が存在する.こうした菌は,細胞内のさまざまな生体成分を変化させて高温に適応している.好熱菌の研究から,全生物の共通の祖先は超好熱菌なのではないかという仮説も提唱されている.

 今井氏は,好熱菌の中でも超好熱古細菌と呼ばれる菌がもつ,代謝系およびエネルギー産生系について解説する.これらの菌は,常温で生育する菌ではみられなかった古い代謝様式を保持している.

 最後に,黒岩は,耐酸耐熱性の藻類を用いたミトコンドリア分裂機構に関して解説する.強酸高温の環境は,地球の原始的環境を反映している可能性が高い.したがって,そこに生育する藻類の中には原始的真核生物の特性を強く残した藻類がある.それを材料にゲノム解読を独自に終え,オルガネラ(細胞小器官)分裂のしくみの全貌(ぼう)に迫りつつある.その結果は,オルガネラの起源から真核生物の起源に関する示唆を与えている.

 今回,極限環境生物に関して特集が組めて たいへん良かったと思う.しかし特集にあたって,ふと"極限環境"とは何かについて考えてみると,すぐに答えがでない.私たちが思う極限環境とは,そこにすむ生物にとっては進化の過程で獲得した最も快適な環境であるはずだからである.したがって極限とは,人間が人間の立場で勝手に考えだした言葉ではないだろうか.極限環境といっても,温度一つをとっても高温から極低温まであり,さまざまな温度に適応して生息している生物がいることは驚きである.また,気圧・乾燥など,多様な環境条件がある.基本的な思考として,縦軸に多様な生物を,横軸に環境をとれば,生物はあらゆる舛を埋めるに違いない.この多様性をみるとき,生物の力強さを感じる.

 生物学はもはやはっきりと第二の革命期に入っており,ゲノムの解析を通じて,極限生物の進化と適応のしくみに明確な回答が得られる日も近くなっていると思われる.そのような過渡期にある生物学の時代にあって,極限生物に関して整理してみることは意味があろう.本稿では,この分野を代表する先生方に執筆をしていただいた.幸いどの先生も企画に賛同し,たいへん興味深い文を寄せて下さった.企画者として感謝する次第である.

(やまぎし あきひこ,東京薬科大学 生命科学部 分子生命科学科;
            くろいわ つねよし,立教大学 理学部 生命理学科)

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