日本での幕開け(Opening)
<体験版>

第二次世界大戦後にオーストラリアやイギリスなどが, レーダー技術などを転用して太陽電波の観測などを開始しました. 日本も戦後間もないうちに, ダイポールアンテナで太陽電波の観測をしはじめました. さらに1948年頃には,三鷹の東京天文台(当時)に直径10mの電波望遠鏡を建設し, 簡単な干渉計なども作って,1950年代には本格的な観測が行われていました. 太陽電波研究グループの中心は, 日本で最初の電波天文学者である畑中武夫でした.


日本の電波天文学の開拓者,畑中武夫 (1914-1963)

当時の太陽電波観測では, 太陽電波が太陽のどのあたりから出ているのか, 黒点のまわりの太陽面バーストの分布, 電波とコロナの活動との関係などを調べていました. 一方,太陽を除く他の天体からの電波は, “電波ノイズ”と呼ばれて,ほとんど注目されていませんでした. 10m望遠鏡を使い,3GHzで, 月の満ちかけで電波の強さが変わるなどを観測した程度でした. その頃,東京天文台内ではようやく, 電気工学などの分野の人もまじえた「天体電波部」なるものができましたが, まだ従来の光学天文学の強かった天文台内では小さなグループでした. 同じ頃,名古屋大学空電研究所(現在の地球環境研究所:STE研)や, 大阪市立大学に電波天文グループがありました.

写真提供:矢治健太郎(かわべ天文公園)

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