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【裳華房】 メールマガジン「Shokabo-News」連載コラム 
松浦晋也の“読書ノート”

禁無断転載 → 裳華房メールマガジン「Shokabo-News」


第61回 儲けの誘惑に逆らえなかった大日本阿片帝国

『阿片帝国・日本』(倉橋正直 著、共栄書房、2008年)
『満州裏史 −甘粕正彦と岸信介が背負ったもの−』(太田尚樹 著、講談社、2011年)

 過去数年、この連載では「戦後日本政治に戦前からの阿片の闇資金が流入したのではないか」という仮説をたてて、戦前日本の阿片政策を追っかけてきた。その結果見えてきたのはどうしようもなくルーズで、漸減策と制度に名を借りつつも、国際条約に違反してでも阿片を密売し続けた、まったくもって世界に対して申し開きの出来ない犯罪国家・大日本帝国という実態であった。

『阿片帝国・日本』カバー  今回紹介する一冊目『阿片帝国・日本』は、それでもまだ、「日本は植民地とした台湾で、後藤新平が立てた漸減策に従って、阿片の撲滅を目指していた」と信じている人を完全にノックアウトする一冊である。著者は愛知県立大学の教授を務めた東洋史学の歴史学者。本書の他に『日本の阿片戦略』『日本の阿片王』(いずれも共栄書房)という阿片関連の著作を持つ。

 全6章構成の本書は、ここまで紹介してきた何冊もの本の大変良質な要約になっている。戦前日本の阿片流通の実態について、コンパクトにまとまっていて余すところがない。
 第1章が満洲事変以降の日本の中国侵略と阿片密売との関係。第2章が以前のコラム※1で取り上げた『戦争と日本阿片史』(二反長半 著、すばる書房)に登場する一次資料「祇園坊書簡」の精密な読み込みと分析。第3章が、満洲国における阿片政策の概要。第4章が後藤新平の立てた阿片専売政策の分析。第5章が阿片禁止運動家である菊地酉治(きくち・ゆうじ)の活動の紹介。最後の第6章が関東州で1928年から30年にかけて発生したドイツからのベンゾイリン(塩酸ベンゾイルモルヒネ:阿片から製造する鎮痛剤であるモルヒネの一種。阿片代替品として密売もされていた)密輸事件の概観──と続く。とりあえずこの本を読んでおけば、多くの資料を渉猟しなくとも「阿片帝国であった日本」を概観できると言えるだろう。
 ※1 https://www.shokabo.co.jp/column/matsu-26.html

 私の見るところ本書の価値は第4章から第5章にかけてにある。

 第4章が指摘するのは、後藤新平が植民地台湾の経営にあたって立てた政策──阿片を専売制として台湾経営の資金源にすると共に、購入者を登録制にして徐々に供給を絞り、数十年をかけて阿片常習者を根絶するという漸減策──の偽善性である。
 漸減策の前提にあるのは、阿片中毒は治療不可能であり、一度中毒になってしまえば後は阿片を吸食し続けないと死んでしまうという認識だ。その認識は、阿片を絶たれた中毒者は激烈な禁断症状で、死ぬほどの苦痛に苛まれるという事実に由来する。だから国が責任を持って中毒者に阿片を供給する専売制を営む、という論理が成立する。

 が、実際には中毒者が阿片を絶っても死ぬことはない。きつい禁断症状は阿片吸食を止めてから5日後あたりから二週間後ぐらいまで続く。しかしそこを抜けると徐々に苦痛は減り、健康な状態に復帰することが可能なのである。
 中国や台湾では阿片が蔓延する一方で、19世紀以来、中毒者の治療の試みも進められてきた。その結果、「治療には死ぬかと思うほどの激烈な苦痛が伴うが、死ぬことはなく、苦痛をやり過ごすことができれば中毒者は健康な状態に復帰できる」という認識が、徐々に一般へ浸透していったのである。
 昭和の初めには、苦痛の強い時期に睡眠薬を処方して中毒者を眠らせるという治療が始まっていた。最終的に適切な量の塩酸モルヒネを投与して苦痛を緩和するという治療法が実用化し、阿片の根絶が可能になる。『台湾統治と阿片問題』(山川出版社)の回※2で紹介した通りである。
 ※2 https://www.shokabo.co.jp/column/matsu-28.html

 だから、昭和の初めの段階で、台湾では一気に阿片を根絶することが可能な環境が整っていた、と著者は指摘する。簡単だ。専売制で集約していた阿片の供給を一気に止めればいい。中毒者は苦痛に見舞われるが、最大でも1か月程度で離脱し、健康を取り戻す。もちろん供給停止にあたっては事前に治療設備の充実などの手を打っておく必要があるが、この時点ですでに台湾社会のコンセンサスは阿片根絶へと傾いている。一気の阿片根絶は可能だったのである。
 では、なぜそれができなかったか。
 阿片のもたらす利益が構造的に台湾総督府の財政を支えていたので、止めるに止められなかったのだ。
 日本そのものが阿片のもたらす利益に中毒してしまっていたといってもいいだろう。
 阿片に中毒していたのは、阿片中毒者だけではなかった。後藤新平の立案した漸減策は良策に思えて、実際のところ、阿片のもたらす収益で日本政府を阿片漬けにする「呪い」であった。台湾総督府が中毒し、関東庁が中毒し、日本陸軍が中毒し、傀儡国家の満洲国が中毒し、戦争で東南アジアに日本の占領地域が広がるにつれ、それぞれの地域で阿片専売制を敷き、結局は阿片を広め続け──漸減策とは、大日本帝国そのものが阿片中毒という状況に至る「国家を潰す毒」だったのである。

 続く第5章は、阿片禁止運動家の菊地酉治(きくち・ゆうじ、生年没年不詳)の活動を追っていくことで、戦前日本に巣くっていた救いがたい建前と本音の分離が見えてくるという構成だ。
 菊地は、薬の行商を生業にしており、日露戦争の頃に中国に渡って揚子江方面で薬の行商を営んだ。ついで湖北省・沙市市(現在の湖北州荊州市沙市区)で薬屋を開業。この時期に一時阿片を常用して中毒になるが、回復した。彼はプロテスタントで、その信仰で禁断症状を耐え、克服したらしい。その経験および中国人プロテスタントとの付き合いの中から、阿片撲滅を主張するようになり、1923年頃から阿片撲滅活動を展開するようになった。
 日本のプロテスタントには、歴史的にアメリカのプロテスタントからの影響が大きかった。国際的な阿片禁止の動きは、アメリカが1902年にフィリピンを植民地化し、フィリピンにおける阿片蔓延に驚いたことから始まる。つまりアメリカ政府の政策→アメリカのプロテスタント→日本のプロテスタントという流れで阿片禁止運動が日本に入ってきた訳で、その最前線に中国大陸における阿片の実情を知るプロテスタントとして菊地がいたわけである。彼は、プロテスタント各派の連絡団体である日本基督教連盟を拠点として、阿片撲滅に向かって踏み出していく。
 菊地が求めたのは、関東州およびその周辺での日本人による阿片密売の禁止だった。これは要求としては不十分なものだった。なぜなら、日本人が阿片を密売できたのは、南満洲鉄道の附属地における警察権を、日本の植民地出先機関である関東庁が持っており、その関東庁が日本人の阿片密売を目こぼししていたからである。関東庁自身が阿片専売で財政を支えていて、密売を商う現地日本人と持ちつ持たれつの関係だった。
 つまり阿片問題の根本には、漸減策を名目とした日本政府による阿片専売があった。菊地はその根本原因を追及することなく、単なる阿片密売の禁止を求めた。
 それゆえ菊地は当時の日本社会に受け入れられた──と、著者は書く。日本政府としては菊地を受け入れることで、強力な財源として機能している阿片専売を攻撃されることなく、阿片撲滅という国際社会からの要求にきちんと対応している風を装うことができた。だからこそ菊地は、日本の支配層に阿片撲滅を働きかけ、活動に支持を得ることができたのだった。
 菊地は主に外務省を通じて阿片撲滅を訴えた。しかし、台湾総督府も関東庁も日本陸軍も聴く耳をもたなかった。それほど阿片の収益は大きく、魅力的だったのである。「儲かるのになぜ止める必要がある。中毒で死ぬのは日本人ではなく、どうせ中国人だ」というのが、これらの組織の言い分だった。この時すでに日本は国際的な阿片の取り引きを禁止したハーグ阿片条約を批准しているというのに、この態度である。およそ近代国家の組織の主張とは思えない。
 結局菊地の主張は受け入れられず、失意の菊地は1932年頃に自殺してしまう。その後、菊地の遺志を継ぐ者は現れなかった。日本本国では、阿片は一部の人のみが知るアンタッチャブルな政治課題となり、そこに動く莫大な裏金に、東條英機や岸信介が取り付いて利用していくのである。


『満州裏史』カバー  今回紹介するもう一冊の『満州裏史』は、少々評価が難しい。著者は東海大学教授を務めた歴史学者だが、甘粕正彦と岸信介の人物伝的に読み物調で書かれていて、書いてある内容も「昔の関係者から聞いた」的な伝聞が多い。学術書のようにかっちりと事実を検証可能な形では書いていないのだ。ただ、事実ならば無視できないと感じる内容が多いので紹介する。

 本書では満洲国の阿片流通ルートを三つに整理している。まず満洲国内で栽培され、満洲国が専売制度で買い上げる阿片。ここで注目すべきは、戦前の三井物産上海支店に勤務していた者(匿名)の証言として、このルートの阿片の販売先は日華事変勃発以降、満洲国内の中毒者だけではなかったと書いていることだ。進軍した日本陸軍と共に、満洲国政府経由の阿片も中国国内に流れていったというのである。
 しかもその収益の一部は、甘粕正彦の意志で蒋介石の国民党に提供されていたという。加えて、この金の流れによって、岸信介と蒋介石がつながっていたとする。確かに岸は戦後も一貫して共産中国との国交回復に反対し、台湾との関係を重視している。時期は書いていないのだが、おそらくは1937年(昭和12年)7月の事変勃発から「国民政府を対手とせず」の近衛声明(1938年1月)までぐらいであろう。
 日本(甘粕が仕切る陸軍の特務機関)から国民党に資金が提供される──国民党と日本陸軍は交戦状態にあったのに一体どうしたことか、である。どうも甘粕は毛沢東の共産党対策として国民党が弱るとまずいと判断していたようである。そんなことをするなら、さっさと国民党と手打ちにして日華事変を終わらせるべきなのだが、東條英機は日華事変を手仕舞いすることに反対で、国内外の和平に向けた動きを憲兵隊を使って妨害した。
 このあたり、昭和初期の戦争に向けて流されていく大日本帝国が、ひとつの政治意志で動く政府の体を成していないことがわかる。第59回コラム※3にとりあげた徳川義親が、「天皇に主権があるとした明治憲法は、薩摩と長州がすべての責任を天皇に押しつけて自分達が無責任な形で好き勝手するために作ったものだ」と喝破していたことを想起させる。
 ※3 https://www.shokabo.co.jp/column/matsu-59.html

 第2のルートは上海経由で中東方面から密輸される阿片だ。これは日本陸軍の肝いりで“阿片王”里見甫(さとみ・はじめ)が元締めとなって、上海の青幇に流していた。これまでの読書に出て来た通りである。
 密輸は陸軍が外交特権を使って三井物産に行わせていたのだが、本書はその他にイギリスの軍艦が密輸に関わっていたと書く。軍艦を使った密輸の当事者は、阿片戦争以降、中国への阿片輸出で財を成したイギリスのサスーン財閥らしい。
 えええっ、である。1930年代にもなって、日本だけでなくイギリスも外交特権を使った国がぐるになっての阿片の密輸を行っていたというのか? 本書はこの件に関して、何の証拠も掲載していない。
 それに関連して、1941年(昭和16年)、岸信介が上海にやってきたタイミングでサスーン財閥が岸に接触し、会談を持ったと書いている。こちらも、誰が証言したとも、どこに記載されているとも書いていないが、「岸が満洲国で部下だった長瀬敏のところにふらっと立ち寄ってみると」(同書p.332)、サスーン財閥からの電話があったと書いている。書き口からするとこの長瀬敏、あるいはその周辺から証言を得たと思われる。
 昭和16年は、岸にとって空白の年だ。1月に小林一三・商工大臣と対立して商工次官を辞任。10月には東條内閣の発足に伴って商工大臣に就任している。この間のどこかで上海に行き、サスーン財閥と接触があってもおかしくはない。
 すでに満洲国を離れて帰国していた岸にサスーン財閥が接触したということは、大日本帝国の官僚でありつつも、岸が中国大陸における日本絡みの阿片流通に大きな影響力を維持していたことを意味する。当然それは、岸が甘粕正彦と里見甫へおよぼす影響力という意味であろう。

 第3のルートは、日本が満洲国同様の傀儡政権を樹立した蒙疆地域(現在の内モンゴル自治区)で、日本陸軍が買い上げて、現地に入り込んだ日本の民間人経由でさばいた阿片だ。この阿片の収益の一部もまた、阿片流通の見返りとして中国側有力者に提供されていたという。

 なんかもう、ため息が出てくる話だ。ここで足蹴にされているのは、中国の人民である。なるほど、こんなことやっていたなら、そりゃ国共内戦でも国民党ではなく共産党が勝つよなあ、という気分になる。

 ずっと続けている阿片絡みの読書だが、進めるほどに気の滅入る話が次々に出てくる。
 浮かび上がってくるのは、自らも阿片に中毒してしまった大日本帝国という国のダメさ加減だ。加えて、岸信介という人の徹底した黒さだ。この人、黒いよ!と叫びたくなるぐらいの黒さだ。

 県立図書館で見つけた本を片っ端から読んでいくだけで、ここまでいろいろ見えてくるとは。
 しかし、まだまだ読書は続くのである。


【今回ご紹介した書籍】 

『阿片帝国・日本』
倉橋正直 著/四六判/236頁/定価2200円(税込)/2008年刊/
共栄書房/ISBN 978-4-7634-1034-4
https://www.kyoeishobo.net/books.html

『満州裏史 −甘粕正彦と岸信介が背負ったもの−』
太田尚樹 著/文庫判/576頁/定価1100円(税込)/2011年刊/
講談社/ISBN 978-4-06-277031-6
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205742
#上記の書誌情報は入手しやすい文庫判のものです。電子書籍もあります。

「松浦晋也の“読書ノート”」 Copyright(c) 松浦晋也,2023
Shokabo-News No. 387(2023-7)に掲載 

松浦晋也(まつうらしんや)さんのプロフィール】 
ノンフィクション・ライター。1962年東京都出身。現在、日経ビジネスオンラインにて「チガサキから世間を眺めて」を連載の他、「Modern Times」「Viwes」「テクノトレンド」などに不定期出稿中。近著に『母さん、ごめん。2──50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』(日経BP社)がある。その他、『小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦』『はやぶさ2の真実』『飛べ!「はやぶさ」』『われらの有人宇宙船』『増補 スペースシャトルの落日』『恐るべき旅路』『のりもの進化論』など著書多数。
Twitterアカウント https://twitter.com/ShinyaMatsuura


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